北海道の北の方で出会った生き物たち+α
ちょっと久しぶりにロングドライブがしたい気分だったので、北海道の上の方にぶらりと行ってきました。26時間の旅程で840kmほどの走行距離でした。
沿岸を走っていると最初にお出迎えしてくれたのはオオワシどの
久々にまじかで見たオオワシどのはやっぱり大きくて、気高い感じがしましたのでした。
アザラシ in ノシャップ寒流水族館
ほのぼのしているのかと思いきや、春はうららしてるだけじゃなくて、恋争いの季節のようなのだろうかな、戦闘が勃発してました。
アメリカンロブスター in ノシャップ寒流水族館
エビの類の正面アングルってなんだかカッコイイですよね?
ノシャップ岬から利尻富士を望む
短い弾丸旅程だったけど、面白い週末になったのでした。 稚内エリアは観光オフシーズンオーラが全開でお土産物屋さんは、一応回転してるけど、商品すっからかんモードでちょっと寂しくもありました。
ちょっとおいしいお家ごはん-酢豚、豚汁、バジルチキン-
最近の気になったツイート。
若い後輩を居酒屋に誘った所、嫌がる為「酒嫌いか?」と聞くと「居酒屋って四千円とか普通にかかりますよね。そんだけ払うなら、寿司やステーキや鰻みたいな高級なもの食えますよね?」私が若い頃は七千円位平気で飲んでいたが、言われてみればもっともである。今時の若者は金銭感覚がしっかりしている
— 佐原敏剛 (@saharabingo) 2016年2月17日
因みにその後輩は「酒飲むならドラッグストアで酒とつまみ買って佐原先生んちで飲めば、1人千円で済みますよね?それで良くなくないすか?」と言い、私の家で飲む事になった。居酒屋の様な雰囲気でショバ代を取る飲食店が苦境に立たされる訳である。彼らに金を払わせるのは大変な知恵が必要である
— 佐原敏剛 (@saharabingo) 2016年2月17日
ちょうど最近久々に会った大学時代の友人も同じようなことを言っていたし、自宅でカバーできる人数なら自宅で何か作ってみんなで食べたり呑んだりしたほうが、のんびりできてかつ、安く済むと自分も思う。
とか思ったのが影響したのか否かは定かではないけど、ここ数日少しだけいつもより気合を入れたメニューを作った気がする。風邪にインフルエンザに負けないためには、よく食べることという習わしに従っただけだけど。
変わり酢豚
「変わり」となっているのは、酢豚に入るべき食材がかけていたり、通常酢豚に入っていない食材が投入されているからです。
イレギュラー食材
- サツマイモ:安かった。単純に好きな食材である。甘味成分担当として。
- ナス:別なものに使おうと思って買ったけど、ニンジンがないことに気がつき代わりに入れた。食感とか色とか全然違うので、ニンジンの代わりを務めるには至らなかったが、油との相性で調和してくれた。
ポイント
- 豚バラ肉はブロックを厚手に切り、塩で下味して水気を出してから片栗粉をまぶして、一度揚げてから炒めるのがよい。
変わり豚汁
変わりなのはサツマイモが入っているから。サツマイモを投入したのはジャガイモよりもサツマイモが安く売っていたからというだけ。甘めの味付けが好きな斉藤にとっては、サツマイモバージョンがなかなかよいと思いました。
バジルチキン
分厚いところに切り込みを入れて、皮目じゃない方に、塩を擦り込み、粗挽きコショーをまぶし、乾燥バジルとニンニクをまぶし、オリーブオイルとオリゴ糖でコーティングして、皮目が外側になるようにして、ぐるっと巻いてタッパーにぎちぎちに詰めて一晩冷蔵庫へ。翌日、フライパンでこんがり焼けばOK。
焼く前の状態で、冷凍しておけば、しばらくはおいしく食べられるでしょう。今回はもも肉ですが、むね肉でもおいしく作れる気がします。
最初は多少なりともレシピを書こうかと思ったけど、いつも思い付きで分量も図らずに非計画的に進むので、数値化するのが難しいので割愛。雰囲気で察してください。←
最後のバジルチキン的なパターンの調理方法は最近のマイブームかもしれません。週末に作りだめしておくのに楽ちんというのが大きいのでしょう。そういえば、大学生のころも安売りの肉とか鮭を漬け込んでよく蓄えていたなというのを思い出しました。
The sign says... に対する「この標識には...と示されている。」という日本語訳の違和感がスット消える瞬間!?
中学生の時だったか、高校生の時だったかの記憶は定かでは無いけれど、
The sign says ... ってのは、「この標識には、...と示されている。」と訳すのだと習った記憶がある。中学生だか高校生だかだった自分はなんだかイマイチしっくりこない感じがしたのを何となく覚えている気がするし、「標識が言うってなんだよ!」とかって思ったような気もする。
そんな違和感はいつの間にか忘れ去っていたのだけど、ふと思い出してしまった今日この頃。でも、自分の日常の中でもこういう表現つかっているなと思ったら、どうでも良くなってしまったという話です。
The sign says ...
The sign says the sign has sharp edges.
この標識には、この標識は縁が鋭利だと示されています。
もう、標識の内容自体に突っ込みどころがあってアレですが、ひとまず置いておきましょう。
sayは、「言う」という意味としか大抵は覚えていない中高生時代にしてみれば、「この標識は、この標識は縁が鋭利だと言っています。」と訳したくもなるし、そう解釈して、なんで標識がしゃべるんだとなるのでしょう。
「なんて言ってる?」
不思議な呪文を唱えるお仕事を始めて、丸4ヶ月が過ぎました。そんな中で普通に使っているけど、「The sign syas...」の流れで、ちょっとハッとしたのが、ボスとの日常会話でよく出てくる「なんて言ってる?」。
この「なんて言ってる」の主語には、サーバー、エラーメッセージとかってものが入ります。
標準的な表現としては、「サーバーのログにはなんと書かれているか」、「エラーメッセージはなんと書かれているか」となるのでしょうが...。
まさに、The sign says...と同じシチュエーションですよ。別に英語だから特別にある表現じゃなくて、日本人だってよく使う表現なんですわな。
「いってる」と表現することで、表現的に柔らかい?
「示す」とか「書いてある」とかって言うとなんだか固いですけど、「いっている」っていうとなんだか柔らかいような気がしないでもないですか?と自分は思うのです。
蛇足。
冒頭に掲げたflickerからの看板写真。本来伝えたい出あろう、車とか歩いたりとかして入らないでねよりも、この標識はキケンだ!だって縁が鋭利なんだから!が主張されすぎてちょっとコーヒーをフキこぼしそうになった。
蛇足2
実は、サーバーが~って言ってると、サーバーを生き物のように扱い始めてしまったという話に帰結しようと思っていたのですが、そんな折にthe sign says...のことがふと思い出されたのでこんな形です。
YED--Youth Encouragement Discovery in Youth+Center で感じたこと・考えたこと
photo by TheAlieness GiselaGiardino²³
札幌市若者支援総合センターで開かれた、YEDに出向いてきました。クマが出てくる奴とか、語学とかプレゼン教材にされているやつではありません。「Youth Encouragement Discovery」です。
若者が今どんなことを考えていて、どんなことを取り組んでいるのか、お互いに知るきっかけの場になることを目指しています!!
というイベントで、6人のスピーカーが、それぞれ7分くらいずつであれこれと語りました。以下、それぞれのスピーカーの話で印象に残ったこととか、思い浮かんだこととかです。
各スピーカーについての紹介は、Facebookイベントページにあります。
続きを読むRe:「世間知らず」の日本の教師に進路指導ができるのか
下のタイトルがかなり煽ってる系な記事ですが、教育現場が抱える問題を国際比較で表しているところは面白いなと思ったので、私的考察を付け加えてみましょう。
www.newsweekjapan.jp
教師が世間知らずなのはなぜか?
よく「教師は世間を知らずだ」と言われる。取り上げた記事でも言及されているように、
教師は「世間知らず」、とよく言われる。大学まで学校で学び、新卒で教員に採用されてからもずっと学校で働くことになれば、確かに学校以外の社会は経験上知らないということになる。
「世間知らず」の日本の教師に進路指導ができるのか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトより
というのは確かに大きな一因になっているのでしょう。
かといって、いくらか教育以外の道のお仕事をしてから教員になる人ばっかりで、大卒からストレートないし準ストレートぐらいで、教員やってる人がいなくなると、教員の年齢層が上にシフトしてしまう。
生徒との年齢が近いからこそできる関わり方ってのはあって、場合によってはどんな技術や経験でもカバーできなことだったりします。だから、若手教員が減っていくというしくみにしてしまっては困るのではないかと思います。
教員に世間を知らしめるために必要なこと
教員対象の社会体験研修で民間企業などに派遣されて、数日間~1年くらいとか企業で働くという取り組みも進められているようです。
が、、、
そんなことで教員が社会を知ればいいですけど、そんな短期間で社会を知ろうなんて、ふざけた話だと斉藤は思います。そんな単純なんでしょうか社会って。
授業時間以外の教員の拘束時間とか多忙感というのと、社会人経験者が教員に占める割合とか、もっと言えば教員が社会を知らない度を調べたらもしかしたらゆるく相関が出るような気がしないでもありません。
結局、若手教員が部活動顧問を暗黙の了解の上に強制的にやらされていることに反旗を翻したりしている最近の動きにも表れている、「教員の多忙感」というのが、教員の世間知らず感を強くしているように感じます。
2枚目の名刺なんて動きがありますが、そういった、本業とは違うところでの世間とのつながりを持てれば、教員だって随分変わる気がします。というか、少なくとも自分は教育業界外の人々ともいろいろと関われていたことで、ちょっとたまには引いて教育業界を見れていた気がしています。
「教育はアートである」
僕の好きな言葉です。なんかのときに聞いたか読んだ文言です。以下の記事を書いた時も少し触れましたが、工業製品を作るように画一的な部品から画一的な製品を作るのとは違って、一人ひとりに寄り添いながら、一人で社会を歩けるようにする教育という営みを、PDCAサイクルだなんてもので評価するのはいかがなものでしょう。
ということが、うだうだせずにズバット込められたいい文言だと思います。
総括!
日本の教育改革っていうと、今できていないことを、教員養成の仕組みとか、研修制度とかでなんとか立て直そうとする傾向が強いと思います。
でも、それは対処療法でしかなくて、どうしてそういう現象が起きているのかっていう、本質的な源を見つめることを忘れてしまっているような気がします。
目の前で起こっている現象は一意かもしれませんが、その背景にあるものは、一意とは限らないのではないでしょうか。対処療法でどうにかなるなら、もうずいぶんと日本の教育は素晴らしいものになっているはずだよ。