KITA Eng.sub

KITA Eng.の別館。北海道でサーバーとかICTとか教育とかについて考えている人が綴るblog。

日本の教員の多忙感はを減らすのは、技術でも外部連携でもない…

たまたまだろうけど、最近、教員の負担減についての話題が立て続けてでてきていた。 Twitterでは、こんなつぶやきを残していた。


テクノロジーで効率化を進めればいい?

技術の進歩でいろんなことが、自動化できたり、手間を省けたりするようになった現代社会。 教育の現場にもいろいろなテクノロジーを入れて効率化を図ろうって流れがあるけど…。

工業製品を作るって面では、どんどん自動化したり、手間を省いて低コストで作れればいいだろうけど、 こと教育においては、自動化しないことに意味があることもあるし、手間がかかるからいいことってある。

工業製品はある一定の材料からある一定の規格に合わせて製品を生産するのだけど、 教育は、その時点までの生活経験・体験の違う人の人格を「完成」させるのであって、スタートラインが 違ったり、その過程の効果だってずいぶん違う。そもそも「完成」ってなんだって問題もある…、

手間暇かけるしかないんだよな。工業製品の製造管理的に考えれば、非合理的な方法が、 実はあとからじわじわ利いてきたりするし…。


もう一つ流行り!?なのが、外部人材の活用

教科とか総合的な学習の時間とか、キャリア学習とかでスポット的に呼んだり、継続的に一緒に活動したりってのはいいと思うけど、部活を外部コーチに任せきってしまうってのは、どこの学校でもうまく運用できることではないと思う。

いろいろな調査(国際比較とかも含めて)で、部活が日本の教員の多忙管の大きな要因になっているのは、確かだけど、その一方で部活を通した生徒指導・支援が大事な学校や生徒がいるのも確か。うまく外部コーチと連携していかないと教育効果としての部活動の意味合いは小さくなってしまう。この辺のバランス感ってのは難しい。


結局のところ……

長時間過密労働の裏には、スタッフの数と質の問題があるわけで、そこには結果的に投入されている予算額の問題があるわけです。財務省は言います、「児童生徒はこれから減っていくのだから、教員だって減らせ」と。教育の水準やニーズが旧来的なままでいいのであれば、それも可能でしょうけど、今、初等中等教育には求められることが明らかに多いし、変化の時期であるわけです。多様な教育ニーズを満たすために、教員たちは日々奮闘していたりします。聖職という言葉で片づけてしまうのはいささかどうなのかと思うのです。国防や諸外国にいい顔するのも国際社会で日本が生き残るのには必要なのかもしれないけれど、未来の日本を創る人々のために教育への投資も惜しんでほしくないと切に願うのです。